ポール・アンカはアメリカポップス界の50〜60年代を代表する歌手ポール・アンカの「ダイアナ」はいきなりビルボードの1位にランクインしました
ポール・アンカを知っている世代はもう古いのでしょうか?
少なくとも団塊世代の人ならポール・アンカを知っていると思います。
私達の少年のころ突然「ダイアナ」がラジオから流れてきました。私はこのモダンな歌にしびれました。
それからポール・アンカのファンになっていました。ポール・アンカはカナダのオタワに生まれました。
一度は法律の関係に進路を決めていたようですが、好きな音楽をあきらめきれずに父親を説得して
ニューヨークへ行くチャンスをもらいます。
ニューヨークに着いたポール・アンカは知り合いだった人気ヴォーカルグループのホテルに押しかけました。
そこで紹介されたパラマウント・レコードの有名なプロデューサーのドン・コスタに自分が作った「ダイアナ」を聴かせます。
そのときのポール・アンカは16歳でした。
そこからポール・アンカはスターとして、またエンターテイナーの王者飛躍していきます。
「ダイアナ」は1957年の7月にはチャートに入りました。
ポール・アンカは自分で曲を作り、唄ったシンガーソングライターでもあります。
ポール・アンカ自作の「ダイアナ」は片思いの曲です。でも曲の文句など知る由もない子供の私は
どこででもポール・アンカの「ダイアナ」を歌っていました。
そしてこの曲はいきなりビルボードの1位にランクインしました。
ビルボードチャートは最も権威ある音楽誌のチャートです。
それから「君は我が運命」"You Are My Destiny"、「ロンリー・ボーイ」"Lonely Boy"なども
よくカタコト英語で歌っていました。
ポール・アンカと同世代の歌手には同じくシンガーソングライターでもあったニール・セダカがいます。
「恋の片道切符」などが日本でも流行しましたが、私はポール・アンカ一辺倒でした。
また実話映画で有名なノルマンディー上陸作戦の「史上最大の作戦」では「The longest day」を
作曲しました。
あの映画の色々なシーンと共に歌が思い出されます。
ポール・アンカは私の青春時代よりも前の憧れの歌手でした。
ポール・アンカ一辺倒のころに実はプレスリーが全盛だったように思います。
ハートブレイク・ホテル(Heartbreak Hotel)やラヴ・ミー・テンダー(Love Me Tender)は私も好きな曲です。
さらにちょっと後からビートルズ旋風が巻き起こりました。
しかし私はビートルズをあまり聴きませんでした。
ポール・アンカはヒット曲のほとんどを自分で作っていました。
40代以降低迷期ではあったのですが、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」や
トム・ジョーンズの「シーズ・ア・レイディ」などを書いて以後レコーディング・アーティストとして活躍するようになります。
そして2005年になると「ポール・アンカ/ロック・スウィングス」というアルバムを発表しました。
さらに今年はポール・アンカが5年ぶりに日本公演を有楽町の東京国際フォーラムで行いました。
私は今田舎暮らしで東京まで聴きに行かれなくて残念でしたが、ポール・アンカは私の古きよき思い出として大事にしたい歌手です。